アセミコの波佐見焼を作っている窯元は長崎県波佐見町にある光春窯です。波佐見焼の産地は有名な有田焼の産地の隣にあり、400年の歴史を持っています。この産地は分業で物作りしていますので、窯元だけではなく、型やさん、生地屋さんや釉薬の専門店などがございます。
九州の豊かな自然の中にある小さな集落はオススメの観光スポットですが、窯元めぐり意外にも魅力的です。窯元から少し歩いた所に美しい棚田が広がっていて、日本ならの風景が楽しめます。
アセミコの常滑焼カップを作っている窯元は山源陶苑です。この窯元は型も作れて、色んな技法で商品作りしています。常滑の滑らかな質感の茶器、そして常滑で有名なお漬物などに使われる壺を作る窯元です。
長年の商品作りの経験を持ち、次の世代にその知識を伝える活動もされています。
常滑の産地は歴史的にもとても面白くて興味のある方には情報も提供されています。歩いて窯元めぐり出来るように開放されている常滑の産地には作家さんの小さなアトリエやカフェもございます。
アセミコの大堀相馬焼カップが作られている窯元は京月窯です。
江戸時代の元禄年間に、相馬中村藩士の半谷休閑が大堀(現在の浪江町大堀)で陶土を発見し、下男の左馬に命じて日用雑器を焼くようになったのが始まり。
2011年3月の東日本大震災発生時には25軒の窯元があ離ました。震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、福島第一原発から10kmに位置していた大堀の住民や事業者も避難・離散を余儀なくされました。協同組合と一部の作陶関係者は、福島県中通りの二本松市にある小沢工業団地内に移り、「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」を開きました。
釉薬の原料となる砥山石が原発事故の放射能汚染により採掘不可能となり、窯元が廃業の危機に見舞われたが、砥山石と同じ発色をする釉薬を開発し生産が再開されました。
残念ねがら元々集落に集まっていた窯元がバラバラになったため、歩きの窯元めぐりは難しくなりました。
アセミコの松代焼カップは長野市の松代町にある「あまかざり工房」で作られています。
江戸時代に真田幸村の兄信之を初代とする真田氏の居城となり、松代藩十万石の歴史が始まりました。
現在は山の奥にある3件の窯元しか残っていないので、窯元めぐりをされる観光客ではなく、地元の人が贈り物などを購入しに訪れる産地です。